ケネディ政権 2018 9 22

 今日は、アメリカだけでなく、
日本でも人気が高いケネディ大統領について書きましょう。
 今となっては、ケネディ氏を美化した報道しか見かけませんが、
今日は、「負」の側面から書きましょう。
 「ケネディ大統領は、現在に至るまで、
アメリカ人の好きな大統領ランキングの上位にいるが、
大統領選挙における不正やマフィアとの関係、
マリリン・モンローをはじめとする複数の相手との不倫などに対する批判が多い」
(ウィキペディアから引用)
 日本では、有名な大統領演説とともに、
マリリン・モンローとの不倫が知られていますが、
私は、このような情事は、政敵や反対勢力を
「かく乱」させる意図があったのだと推定しています。
つまり、敵を油断させ、「何か」をやり遂げたかったのだと思います。
 ケネディ大統領は、司法長官に、自らの弟を任命しました。
このような任命は、当時としても「異例」のことだったでしょう。
 43歳で大統領に就任したケネディ氏が、
本当は、何をやりたかったのかについては、
その後の歴史研究では、公式には、明らかになっていません。
非公式には、いろいろな話があります。
 さて、現代に戻りましょう。
報道では、「私には、司法長官がいない」と嘆いたという。
トランプ大統領が、そのように嘆くのは、よく理解できます。
 日本の政治でも、法務大臣には、
首相の盟友を任命した事例が多々あります。
 トランプ大統領が何をやりたいのか。
派手な選挙公約という公式なものだけでなく、
何かをやり遂げたいのでしょう。

大統領職 2018 9 8
 アメリカでは、トランプ大統領の人格を問題にするメディアが多いですが、
そもそも、政治家に人格を求めるのは間違いです。
政治家とは、結果責任が求められる職業です。
 昔だったら、国防や安全保障という結果を求められましたが、
今は、経済や景気という結果が求められます。
 政治家の能力判定は、難しいものです。
下品で粗野だから仕事ができないとは限らない。
上品で人格が優れているから仕事ができるとは限らない。
そこが難しいのです。
 例えば、カーター大統領は、人格が優れて、
信仰心が篤く、宗教家としても優れていました。
わたしが好きな大統領の一人です。
しかし、カーター氏の大統領としての仕事には、疑問が残ります。
 AかBか。
どちらかの選択するにしても、
政治家は、多くの人から恨まれることになります。
 特に、A案の支持者もB案の支持者も、
その数が多ければ多いほど、
多くの人から恨まれることになります。
しかし、政治家は決断しなければならないです。
しかし、善人の政治家は決断ができないのです。
(あるいは決断しても、政策を「上品さ」や「洗練さ」で判断してしまう可能性があります)
 たとえ死後、国民から恨まれて墓を暴かれるようなことになっても、
政治家は決断しなければならないのです。
 それでも、アメリカでは、大統領に「人格」が求められるのは、
アメリカには、「国王」がいないからです。
 国家を支えるには、二つの「支柱」が必要です。
つまり、精神的な支柱と政治的な支柱です。
 日本においては、天皇が精神的な支柱であり、
首相が政治的な支柱になっています。
 アメリカには、国王がいないので、
大統領が精神的な支柱と政治的な支柱を兼務することになるのです。
 しかし、昔と違って、
アメリカの大統領職は激務になっていますので、
両方を兼務することは難しくなっています。
 アメリカも「首相職」を作って、
大統領は、外交と軍事、
首相は、経済と内政に分けるべきです。
(参考)
 ついでに言うならば、
一代で大成功した創業者や経営者に「奇人・変人」が多いです。





































































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